浄土真宗親鸞会 新潟県
ブラブラ本屋さんへ。
昔、梵字かける人がいて。
手作りお守り作ってもらってた。
梵字って、神様を、一言で表した文字。
のことなんだけど。
やっぱパワーあるよね。
梵字の書き方。
なんつー本もあるみたいで。
へぇ・・・。
と思ってみていたら(いや、わたしは梵字書かないけど)
「お守り・般若心経」
っていうミニ本が。
何これ?
パラパラ。
般若心経が書かれた、手の平におさまるサイズの本なんだけど。
なんか、生まれ年に対応している神様の、真言?
も一緒に書いてあって。
心の中で、唱えてみたら、良いパワーを感じた。
ので、アコムマスターカードで買ってみた(笑)
525円だったし(安)
般若心経の本買うって、
わたしは、おばあちゃんか(苦笑)
いや、うちは、浄土真宗のはず。
「なむあみだぶつ」っつーもんね。
まぁ、いいか。
この本を持つ人に、いいことがありますように、
祈念いたしました。
と書いてあって。
なるほどねー、とか、変に納得してみたり。
わたし、目に見えないものに。
影響うけたりするから。
守ってくれるのかもね。
言葉には、パワーがあるんだ。
ことだまっつー。
とりあえず、バッグの中に入れてみることにした。
っていうか、お正月に、神社行ってないから。
よろっと、初詣にでも、行かんとなー(遅っ)
聖書のミニサイズとかは、ないのかな?
と思ったけど。
聖書はやっぱ、分厚い。
でも、ジッパー付きの、聖書(英語)のに、
ちょっと惹かれた。
インテリア的に。
読めないけど。
っていうか、一番はじめに行った高校は。
クリスチャン高校だったけど(中退したけど)
わたし、別に、クリスチャンじゃない。
けど、聖書も讃美歌の本も、持っているという。
色んな神がいるけど。
どの神が良いとかではなくて。
どの神もパワーを持っているんだと思う。
「聖なる何か」って。
グラコレの
キャラにも神エデンがいるよね。
やっぱなんか、他と違うよね。
浄土真宗の教え
今まで仏教てダサいって考えてて、なんで手を合わせて神様にすがるのかと信用していなかった。
今回、祖父が亡くなり通夜、葬儀、初七日と法事を経験し浄土真宗の教えを学んだ。
簡単にだけど…
浄土真宗では死んだら、死んだ人は浄土へ戻っていくらしい。
心も体も完璧な状態の仏様となって。
しかし亡くなってから三途の川を渡るまで、道を間違わないように線香の煙をあげ続けるらしい。
そして仏になれば、だれもの心を知る事ができ、浄土から家族を見守ってくれるらしい。
「世の中は大変な事ばかりだが頑張れよ」と。
変な解釈も入ってるかもしれないけど、もしそうであるならかわいがってくるた祖父が道に迷わないように線香をあげたいし、死後に祖父の死を悼み集まってくれた人に感謝したい。
そして今後いつも見守ってくれる祖父に時には手を合わせ感謝をしたい。
死後の世界があるかないかといえば、それは信じがたいが
大切な人が亡くなった時、そんな世界があればいいなぁと共感したことは確か。
そして、その教えにそって生きてきた祖父、祖母、父、母。
祖父の死により、命が受け継がれて行くことを改めて感じた。
祖父から受け継がれた命を粗末にしないようにしないと。
かわいがってくれたじいちゃんに申しわけない。
そう思えた帰郷だった。
水戸芸術館
水戸芸術館へやっと重い腰をあげた。会社時代に仕事で出かけた時は、体調も今ひとつで街の様子も見る余裕もなく、駅前の職場とホテルの往復しか記憶にない。あの時から6年経過して明らかに体調は良くなり、あの後遺症はない。ストレス性からの眩暈は自分の人生に於いて大きな事件であった事は今になって改めて感じる。そのときの神経症を患った事により、企業戦士として俗世界にどっぷりだった自分が「精神の世界」を知り、仏教を知り、宗教への関心を抱いた。観音経、禅宗、浄土真宗、いろいろな宗派の仏教を知った。キリスト教に関する書物を読んだ。歴史に関心を抱くようになった。哲学に関心を抱くようになった。人間的なものに関心が行くようになった。
文化的催事へ出かけてゆき、見る目が広くなった。見る目は自分を見つめる目も含めてである。
藤田東湖と言う水戸藩の重鎮が弘道館を開き水戸の学問を高めた。納豆と偕楽園しか思い出せなかったが、街の途中にある石碑に足を止める文化的素養を誇りに思って探索した。
水戸芸術館はコンサートホール(600席程度、アンサンブル中心の円形ホール)、演劇小屋、そして現代アート展示を得意とするギャラリーからなる。ギャラリーでは壁や床をアート化してしまう。従ってここで展示されるアートはすべて撤収後は形には残らない訳である。
親鸞聖人は浄土真宗の開祖
「親鸞」上・下(五木寛之)はとてもおもしろかったです。
以前に新聞に連載されていたものだそうでその文庫化です。
結婚して浄土真宗と縁ができたものの
そのゆるさにイマイチ違和感を覚えていた私。
両親が他界して曹洞宗で供養を始めてから、各宗派の中でも特に厳しい曹洞宗の修行等を知り
住職に尊敬の念を持って接していたので
浄土真宗の教えというよりは住職たちの姿にガッカリしたものでした。
そんな中、昨年末に母の義兄が他界して、その時も浄土真宗だったこともあり
本屋さんに並ぶこの本を手にとったのでした。
親鸞聖人は浄土真宗の開祖。
浄土真宗という名前にもあるように浄土宗の法然上人に師事していたということです。
この本でも親鸞の幼い頃から法然上人との出会いや関わりなどが書かれており
真実をもとに多少登場人物などが脚色・創作されているようです。
仏教や歴史ということを抜きにして現代の読み物としておもしろい作品です。
私としては現代の浄土真宗住職たちへの見方が変わったわけではありませんが
親鸞聖人の広めたかった教えの元はわずかながら理解できたような気がします。
この話は続編があるようですでに単行本では発刊済み。
早く文庫化されることを楽しみにしています。
そしてもう一つ、今更かもしれませんが久しぶりにおいしい日本酒に出会いました。
先日年に数回行く日本酒の多い居酒屋さんで我が家の新年会を行いました。
そこで今までおいていなかったお酒を発見。
和歌山のお酒で「醸し人九平次」というお酒。
今まで一番好きだなと思っていた「獺祭」よりも好みかも?
味わいは似ています。
どちらも磨かれ度が高く、すっきりとしてとにかくとても良い香り。
いくつか種類があるのですが少し高価なものになるとあきらかにフルーツに似た
とても豊かな香りを感じることができます。
蔵の主人も杜氏さんも若い方なので「若くて今風な」味がします。
酔わないうちに味と香りを楽しみたいお酒ですね。
早速ネットにて数本発注。
去年は友人のススメで購入した日本醸造家の作る希少ワインも購入してあるのですが
年末にあけるはずだった忘年会に身内の不幸で出席することができず
我が家の一番温度の低い場所で静かに出番を待っております。
日本酒は一度飲んでおいしかったものを購入することが多いのですが
ワインの場合はバイヤーのコメントや口コミなどを頼りに
冒険的に買うことが多いので飲んだことのないワインをあける時の楽しみは
私の中でかなり高度なワクワク感を伴うものです。
「来週末に〇〇さんちに持っていく」と決まったらそれまで毎日ニヤっとしてしまう感じ。
私はそれほど強いわけではなくて普通にまじめに味わえるのはせいぜい1本の半分。
特に希少性のあるワインやおいしいと噂されるワインは
ワイン好きの人と一緒に味わいたいもの。(オットはワイン好きではなく)
だから誰かと飲む機会のためにせっせと買いだめをしている私です。
清く正しい行い
浄土真宗の開祖 親鸞聖人は<他力本願>を説きました。此れは「善人」は極楽往生をするけれども、「悪人」極楽往生出来ないのか?と言う疑問に対して応えた言葉です。
人間は 一生 <清く正しい行い>だけで生き続ける事は出来ません。例えば生きる為に魚を殺し続け無くてならない漁師、動物を殺さなくては生活出来ない猟師など、様々な生業の人達が、親鸞上人に「どうすれば自分達が救われるのでしょうか?」と必死に救いを求めた事に対して応えました。
<他力本願>阿弥陀如来をひたすら信じ、「南無阿弥陀仏」と心の底から唱えれば、善人も悪人も救われて極楽往生出来る。つまり 阿弥陀如来の<力>=他力 を信じて願えば=<本願>が叶えられる と言う事です。
最近では此の<他力本願>と言う言葉が誤って解釈されまして、<他人の力ばかりに任せて、自分じゃ何もしない事>を言うマスコミ報道も見られますが、本来の意味は違います。其の所為か 昨今の政治家は、何かと<他力本願(間違った意味の)>を振り回して困ります。